ばあちゃんの孫で良かった
こんにちは、ゆりぬるです。
はてなブログでは今週のお題というものがあるらしく、同じテーマの記事を書いてみんなでブログ楽しもう!的な。
今回は初めてその『今週のお題』で書いてみようと思います。
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
私のおじいちゃん、おばあちゃんは母方父方とも健在ですが、今日は母方のばあちゃんについて書こうと思います。
私の両親は私が小学生くらいのときから共働きだったため、母方のおばあちゃんの家で小学生のうちは面倒を見てもらうことが多かったです。平日は学校が終わったらまっすぐばあちゃんちに行って、お母さんが迎えに来るまで(だいたい夜の7時とか8時)ばあちゃんちで過ごすという感じでした。
ばあちゃんはとても優しいですが、私が小さい頃はばあちゃんもまだ60になってないくらいだったし初孫ということもあって、しつけで怒るときはそれなりに怒られた記憶があります。弟のときはもっと優しくなっていました、、(笑)
じいちゃんは昔ながらの亭主関白で私が小さい時はまだ現役で働いていたし、定年しても子供の面倒をみるようなタイプではありませんでした。正直じいちゃんに関しては小学生当時、頑固おやじだし、子供なのにすぐ「うるさい」って言われるから、あんまり好きじゃな~い、すぐ怒るんだもん!って思っていました(笑)
ここ数年はすっかり丸くなりましたが、少し認知症が始まっていて私の事はかろうじて認識できるくらいです。あと数年すれば私のことはわからなくなってしまうんではないかと思います。
ばあちゃんも前々から、自分が元気なうちに私の結婚式に出たいと言っていました。なので2人が元気なうちに結婚式ができたことは本当に良かったと思っています。
小学生のころは平日のほとんどをばあちゃんちで過ごしたので、私にとってばあちゃんちは2つ目の自分の家です。
実家とばあちゃんちは歩いても15分、自転車だと5分ほどで着く場所にあるので自分で行きたいと思ったときにいつでも行けます。親と喧嘩したときの避難所にもなっていました(笑)夜になると心配してるんだから帰りなさいと言われるんですが(笑)
中学生になって部活も始まったり一人で留守番もできるようになり、ばあちゃんちに行く頻度は年に数回程度になっていきました。嫌いになったとかではないのですが、そのころって親とかばあちゃんより友達といるほうが楽しいって思う時期じゃないですか。
だからぱたりと行かなくなって、仕方ないと思いつつも当時は相当寂しがっていたようです。「いつでも顔出して」「暇なとき遊び来て」と電話するたびに言っていました。
就職してからは平日は残業で休日は予定が入っていたりで、顔を出すのは年に数回ではありましたが、就職して最初のころは私が仕事のストレスがたまった時や現実逃避をしたくなったときに行っていたような気がします。
当時はそう思っていたわけではないのですが、今思えば自然とそういう行動をしていました。行って、仕事のことやら最近のことやらをばぁーーーー!!!!って話してすっきりしてまた仕事頑張るみたいな。
就職して3,4年目になるとそれもなくなりました。ばあちゃん曰く、気持ちが自分の中で処理できるようになったんだなと思ったと後から言っていましたね。
本当に小さいころから、今でもずっとばあちゃんは私の味方であり、あったかい存在です。今の私を作ったのはばあちゃんの影響もかなり大きいと思っているし、ばあちゃんに育てられてなかったら今の私は出来上がってないと思います。
小さいころばあちゃんとした会話やよく言われたことはいまでも時々思い出します。靴はそろえなさい。はよく言われていました(笑)私が反抗期の時も、あんまり顔を出さなくても、ふらっと行ってもいつでも笑って出迎えてくれてずっと私の心の拠り所でした。ばあちゃんの孫で良かったなぁと心から思っています。
小さい時のばあちゃんを思い出すと、さすがにここ数年は年をとったなぁと思うことも増えてきました。一緒に生活しなくなってずいぶん経っているので私が豚の脂は苦手だということは忘れてしまっているようです、、。仕方ないですが少し寂しいですね。
ばあちゃんのことが大好きなので、今はまだ元気ですが、もしこの世からいなくなってしまったら、、、と考えると私にとってどれだけの悲しみなのかは考えても今はまだわかりません。
じいちゃんより先には死ねないと言ってるし、私の子供(ばあちゃんからすると曾孫)を見たいといっているので本当に元気で長生きしてほしいと思います。
曾孫を早く見せてあげたいところではありますが、今は資格取得を目指しているので今すぐにというわけにはいかないので、ばあちゃん、、もう少し待ってくれ、、、という感じです。
健康で長生きしてくれることを願うばかりです。